光りなき者とともに――恂臧・政亮 父子二代の記商品コード:ogawa-201403
「光りなき者とともに」と題する一書を出だす。もともとは『福祉のひろば』に、父恂臧の伝記を発端として、この私の略伝にたえるものを二〇一一年四月から二〇一四年五月掲載にある。
いま、これを一冊とするに当たり、父に千葉高等園芸学校の入学、同校での父の倫理学講座等聴講して以来、父の浪速少年院就任以後、父と少年院教官として勤務され、その後も長く少年院教育に当たられた千田光郎氏から、父への「思い出」と題する四〇〇字詰の原稿用紙三冊分の原稿を父の死後、一九七六年に執筆されて、私に託されたものを読者の便宜上、これと父・第一部に続く第二部とし、私に関する部分を第三部とした。
第一部・第二部は、戦前一九二三年の少年法、矯正院法により、多摩・浪速二つの少年院が設けられた。父に浪速を任されたが、父の思うようにしていいという一札で、父の精魂を傾けてのわが国最初の大正デモクラシー熱のこもった有機的、組織的、人間的な非行少年教育が始まった。
父の口癖は、「少年院は司法省の下にはあるが、刑務所いわんや旧時の監獄などでは断じてない」であった。
恂臧・政亮ともに略年を付けた。他に政亮には「私が関わった社会保障裁判」の一覧表を付した。
第二部を読むと、当時の少年院の風物・院生や教職員諸氏の行動、殊に千田氏が力を入れられた園芸部の情景、官舎の私たちの生活、家と家とが昨日の事のように眼前に髣髴とするのを覚える。記して氏は故人とならんに千田光郎氏と記事の印刷を快く許された氏のご遺族に感謝したい。(小川政亮)